スポンサーサイト 

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

韓国が捏造推進か?韓国に口述史学会誕生 

今日のニュースはちと強烈です。


突っ込みどころが満載過ぎて、私のみでは対応しきれないので。


みなさんの突っ込みよろしくお願いします。


では、久しぶりに朝鮮日報記事をどうぞ!


韓国に口述史学会が誕生

初代会長に咸翰姫・全北大教授

「強烈な事件ほど人々はきちんと記憶している」「口述は思ったよりも正確」

 「実証主義史学では、人の記憶は信用できないとして、記録だけを重要視します。しかし口述史を信頼に値する研究方法として確立していくのは、現在の世界的なすう勢です」

 今月5日に創立された韓国口述史学会。同学会の初代会長に就任した全北大考古文化人類学科の咸翰姫(ハン・ハムヒ)教授は、「数年前に学会を作ろうと言ったときは、特に反応はなかったが、最近になって関心が高まっているのを見て、“ああ、すべてには時期があるのか”と思った」と話し、大きな声で笑った。

 口述史学会には、人類学の研究者として木浦大の尹炯淑(ユン・ヒョンスク)教授、済州大のユ・チョルイン教授、韓国口述史研究所のユン・テクリム氏、社会学の研究者として漢城大のキム・ギオク教授、ソウル大のイ・インギュ教授、韓国史の研究者として公州大の池秀傑(チ・スゴル)教授、蔚山大のホ・ヨンラン教授、成均館大のイ・ヨンギ教授らが名を連ねている。このほか、人文・社会科学だけでなく国楽・舞踊・体育・看護学なども含め、さまざまな分野の研究者120人余りが参加している。

 人の口を通じ記憶を採録する「口述史(オーラルヒストリー)」が西欧で重要な歴史研究の方法として注目を集めたのは、第2次大戦以後のこと。戦場から帰ってきた軍人たちが、記録からは知ることのできない戦争の惨状を知らせたことで、口述の重要性が浮き彫りになったのだ。ナチスによるユダヤ人虐殺を明らかにしたのも、「記録」ではなく「言葉」だった。

 しかし咸翰姫教授は、「口述の伝統は、西洋よりも韓国の方が強い」と指摘する。「朝鮮時代には、“文書は偽造可能だが、人の口は偽れない”と考えられていた。裁判を行うとき、誰がどの土地を持っているかという所有権の文書よりも、その土地の実際の所有者が誰なのかについて、近所の人々が話す内容の方を重視した」。咸教授は「西欧の学者も、民謡・物語・説話など口述文化が発達した韓国の伝統に驚いている。西洋の近代学問が輸入される中で、むしろ記録の重要性が強調され始めた」と語った。

 咸教授は、「人々は強烈な事件について驚くほど正確に記憶している。口述は意外と正確だ」と語った。証言者が間違って記憶している部分があっても、価値がないわけではない。事実を立証することも重要だが、その人がなぜそのように記憶しているのかについて、当時の社会的・政治的環境を加味して解釈することもできるからだ。

 口述史学会は今後、学会誌の創刊、学術大会の開催、海外の口述史学会との交流など、さまざまな活動を繰り広げていく予定だ。咸教授は「口述史研究は諸分野の学問の統合を導き、市民自らが歴史の主体との認識を持ち、それを拡散させるのに寄与するだろう」と語った。 


韓国口述史学会の初代会長に就任した咸翰姫(ハン・ハムヒ)全北大教授は、「近い時代を研究する際には、口述が“主”、文書が“従”になることもあり得る」と語った。/写真=イ・テギョン記者
李桓洙(イ・ハンス)記者

朝鮮日報 2009年6月14日付記事





オーラルヒストリーは確かに注目されてきているそうです。


文献資料に残らなかった出来事や、細かな部分を知ったりするという意味では、当時を知る人物からそれを聞くというのはとても重要なことでしょう。


しかし、それはあくまで文字史料を補完する意味合いしか持たないのでは?と私は考えます。素人意見ですが・・・・


オーラルヒストリーの危険なところは、記憶に頼るものであるから、曖昧な部分が出てくるということ。そしてその人個人の主観、思想、が入ってしまうこと。また政治的な意味合いを持ってしまうものなどでは、本当のことを良い辛くなってしまうこと。また意図を持って捏造することが出来ること。


全北大考古文化人類学科の咸翰姫(ハン・ハムヒ)教授は「口述は思ったよりも正確」「朝鮮時代には、“文書は偽造可能だが、人の口は偽れない”と考えられていた。」などと言いますが、一時史料などがしっかりしていないようでは、何の意味もないものではないかと考えます。嘘をつこうと思えばいくらでもつけるし、何らかの強制的な力が加われば無理矢理証言をさせることだってできる。


良い例が、韓国が主張する「従軍慰安婦問題」「強制連行問題」や、沖縄県民の主張する「集団自決問題」、中国が主張する南京大虐殺問題」などです。どれもしっかりした史料が無く、歴史事実として立証は出来ていない。しかし、証言だけが一人歩きして、大変醜い状況になっていますね。

彼らは都合のいいように証言を使っていますが、これじゃあ駄目です。


咸翰姫(ハン・ハムヒ)教授は最後に「近い時代を研究する際には、口述が“主”、文書が“従”になることもあり得る」などと言っておられますが、有り得ないことですね。
まあ韓国からすれば、そうなれば従軍慰安婦強制連行問題で有利になると考えているのかもしれませんが。。。



※wikipediaより


一次史料
一次史料とは、その当時の生の史料、すなわち同時代史料のこと。古文書、当事者の日記、手記、手紙など、その当時の人物が作成した文書類や収集した事物など。その時代のコインや新聞記事等も一次史料になりうる。

二次史料
二次史料とは、同時代史料以外の(一次史料などによって後から作成された)編纂物などのこと。例えば、明治時代に書かれた「豊臣秀吉」伝は二次史料である。ただし、研究テーマによってはこの著作自体をその当時の秀吉像や歴史観を知る一次史料として用いることも可能である。


一等史料・二等史料…
明治時代の歴史家、坪井久馬三が提唱した史料の6区分。坪井説によれば、一等=事件当時に当事者が作成したもの(日記・書簡の類)、二等=事件から少し経ってから当事者が記したもの(手記の類)、三等=一等と二等をつなぎ合わせて作成したもの(伝記の類)、四等=信頼できる書籍や遺物(年代・作者が不明確なものも含む)、五等=信頼のおける編纂書、等外=それ以外のもので、一等から四等が根本史料である。主に当事者性に着目した区分であるが、明確でない点もある。機械的に史料を区分するだけでは意味がなく、現在では余り使われない用語である。
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿















管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://nihonwokaeru.blog52.fc2.com/tb.php/605-157e273f

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。